PSK founding story
まじろうイタリアへ行く。
私も愛用するカメラで有名なメーカーに
勤めていたまじろうさん(シェフ)。
イタリアに修行に行くために
満を持して辞表を提出。
そしてその翌月。
未曾有のリーマンショックがありました。
上司には
「今なら辞表返せるぞ」
なんて言われたり
「本当に大丈夫か?」
と同僚にも声をかけられたそうですが
希望に満ち溢れたまだ20代のまじろうさん。
準備期間の間、
葉山で少し修行をしたのち
イタリアへ旅立ちました。
極貧のイタリア生活
日本よりも遥かに失業率の高いイタリア。
リーマンショックで大不況の中
日本人を雇う余裕はどこにもありません。
でも、持ち前の根性で
星付きレストランで働けるまでになりました。
でも、その道のりは簡単なものではありませんでした。
家がなくなる
サラリーマン時代から
勉強していたイタリア語ですが
契約に関する会話は難しく
ある日、
「明日から出て行って」
と突然大家さんからの通告。
訳もわからず
急遽探した治安の悪い場所の
ボロボロのアパートで
何日か過ごしたそうです。
この時ばかりは
心が折れそうになったとか...
そんなふんだりけったりな
イタリア生活をしているうちに
段々とホームシックに。
でもまだ何も成し遂げていない自分に
喝を入れながら
働いている時間以外は
全て勉強に費やしていました。
でもある日、友人宅に招待してもらい
気分転換にお邪魔することにした
まじろうさん。
ハーブ料理の衝撃
お天気の良い日で
その日はお庭で食事をすることに。
カッチュッコという
魚をハーブで煮込んだものと
色んな郷土料理を振る舞っていただきました。
「正直いうと
魚自体はそんなに新鮮なものでは
なかったんだけど、
ハーブが入っていることで
衝撃的なうまさだった。」
家族の温かみ
そして何より
友達家族と過ごす時間が
荒んだまじろうさんの
心を溶かしていった。
そしてそこから
「スローフード発祥の地
イタリアの食文化をもっと体験したい」
と思い、イタリア人家族との食卓を
積極的に囲んでいく様になりました。
食卓を囲むということ
イタリアでは
遊びたい盛りの子供たちも
夕飯の時間になると
ご飯を食べるために
家に帰ってきます。
「家族みんなで食卓を囲む」
というライフスタイルが定着しています。
「こんな生活を送るには日本は忙しすぎる」
そう思ったまじろうさん。
レストランを開こうと
イタリア修行へ行きましたが
帰ってきたら
「テイクアウト専門店」
となっていたわけです。
そして、家族で最高の食卓を囲むために
手作りで感動的な美味しさを
食卓にお届けしたいと
パスタソースキッチンの
今のスタイルが出来上がりました。
絶対に成功しない
「日本の食卓を盛り上げたい」
強くそう思って準備を始めましたが
「冷凍パスタソースのテイクアウト専門店」
という当時はまだ奇妙な業態に
誰もお店の場所を貸してくれる人はおらず
「ずっと料理をしている人たちよりも
あなたはブランクがあるんだから
もっと普通のことをしたら」
と。
「そんなの絶対に成功しないよ」
と何度言われたことか。
でも
悔しさがバネになるまじろうさん。
ボロボロの古民家を自分で改装し
全国行脚し
「これなに?」
と言う質問に
一つ一つご説明しながら
今こうしてたくさんの方に
手作りの冷凍パスタソースを
お届けできるようになりました。
このお話を最後まで読んでくださって
本当にありがとうございます。
「なんでテイクアウトなの?」
という答えに
ここまで詳しく皆様にお伝えするのは
初めてのこと。
実は以前、お客様から
「PSKを取材させてください!」
と依頼いただいたことがあり
なんとその方の記事が受賞され
宣伝会議に掲載していただいたことがあります。
こちらはさらに長編となっています。
もしよければ
こちらもご覧ください▼▼
「本場イタリアより美味しい」と話題沸騰。三重県発の感動パスタ〜大手メーカー勤務から星付きレストランを経て開業。辿りついた「幸せの食卓」〜