食卓の革命は、
一人の男の“脱線”から
始まった
シェフ× 経営者 × WEB
アーバンワイルド系CEO
” majiro ”
今、第二創業の仲間を募っています。
そのために、シェフまじろうの歩みを
中心にした創業ストーリーを
ご紹介します。

(記事:レー子)
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【第一章】
創る少年、レールを外れる
1981年、三重県津市に生まれた彼は、
幼い頃から“作り上げること”に惹かれていた。
言葉にするより先に、
手を動かして何かを表現するタイプ。
やや芸術肌で、型にハマらない感性の持ち主だった。
小学生の時には、8mmビデオカメラで映画を作っていた。
中学・高校と進むにつれ、
彼の中に芽生えてきたものがあった。
それが、“会社をつくりたい”という夢だ。
高校時代は進学校に通いながら、
とてもとてもやんちゃな一面があり、退学寸前までいった。
それでも先生や友人からは愛されていて、
校長先生ですら彼を「まじろうくん」と
親しげに呼んでいた。
部活を辞めて少し荒れていたが、
高校三年のある日「起業したい」と
心の底から思った。
その瞬間から人生が動き出した。
独自に考えた勉強法で、自分を律し、
1年の頑張りの後、名古屋大学経済学部に合格。
宿題はしないし、テスト勉強もしない。
自分が必要と思ったことだけに集中し
「志望校はこのくらいにしたほうが良いんじゃないか?」
という先生に
「もっと上を目指せるぞ」
と最終的に言わせてみせた。
大学ではガルブレイスの
「日本は経済的に豊かだが、文化的に未成熟だ」
という言葉に深く共感した。
「金儲けではなく、文化のある社会をつくりたい」
その思いが、静かに根を張っていった。
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【第二章】
学生起業と、現場を知る決意
就活で挫折を味わい
大学在学中、広告業を立ち上げた。
真夏にスーツで1000件の飛び込み営業をし、
少数の受注を得て、
その実績をもとに地元商店街で
学生カフェを創業。
10人の学生チームが真剣に学び、挑戦し、
日経MJの一面を飾った。
就活2年目。
今度はたくさんの大手企業から高く評価されるが、
彼は一流の“モノづくり”を学ぶため
Canonを選ぶ。
生産管理や事業企画を担当しながら、
将来の起業に向けて着実に土台を
積み上げていった。
そして4年目、
アメリカ赴任の打診が来たとき、
彼は辞表を出した。
ここから起業がいよいよ始まる。
「本当に文化的な価値を届けるためには、
現場と本場を知らなきゃダメだ」
「上っ面の企画屋にはなりたくない」
そう語り、彼は29歳でイタリアへ渡った。

【第三章】
イタリア修行と、食卓の発見
当時のイタリアは、
リーマンショックの影響で外国人が
働ける状況ではなかった。
タダ働きでも断られ、
毎日のようにレストランのドアを叩いて
“就職活動”を繰り返した。
言語の壁に苦しみ、行き違いから
住んでいた部屋を失い、8月のバカンス時期、
フィレンツェの旧市街にあるアパートの
物置部屋で2週間を過ごす。
通信もない、金もない、知人もいない。
「Canonにいれば、きっと順調だった」
でもそれでも、この道を選んだことは
後悔していなかった。
ただただ、自分の無力さと、孤独に打ちのめされた。
その後もあきらめず働き口を見つけ、
星付きレストランでも働いた。
市場で食材を学び、厨房で料理を学び、
夜は語学を学び続けた。
ある日、ふと気づいた。
イタリアの暮らしは“食卓を中心に”回っていた。
家族や仲間と囲む時間そのものが、
人生の質を決めている。
帰国前、ヨーロッパ各地を巡り、
毎日10km以上歩いて市場と食堂をまわった。
「食って、人生の真ん中にあるものなんだ」
その感覚を胸に、帰国した。

【第四章】
クラフトパスタソース、はじまりの物語
体重は過去最低に。
所持金ほぼゼロ。
東京開業を目指すも物件でつまずく。
祖母の家の昭和のままのキッチンで
ソースの試作を開始し、
百貨店に自ら電話して催事販売を実現。
その後、ネットショップを立ち上げ、
知人の古民家を借りて2012年12月に
週末限定で販売を開始した。
これが、日本初の業態
冷凍クラフトパスタソース専門
テイクアウト専門
の誕生だった。
家もなく店に泊まりながら、
それでも仲間が少しずつ増えていく。
品質と味は絶賛された。課題はただひとつ、
「知られていない」ことだけ。
2015年からは
「季節のパスタ」シリーズもスタート。
文化としての食卓に、季節という彩りが加わった。

【第五章】
信人との別れ、新しい始まり
2019年、ついに黒字化。
7年越しの悲願だった。
しかしその直後、
拠点である古民家が老朽化し、
立ち退きが決まる。
ここで彼らは妥協せず、
「理想のキッチン」を新築する道を選んだ。
自然に囲まれ、ハーブを育て、
ソースのためだけに設計された新拠点。
そんな中、創業からの仲間・信人が
膵臓がんに倒れる。
1年後の2020年、39歳で他界した。
「誘ってくれてありがとう。すげー楽しかった。途中で抜けるのを許して」
信人の遺言通り、
新しい庭には大きなハナノキが植えられた。

【第六章】
新キッチン、父になる。そして大きな決断
2022年3月、
新キッチンが完成。
1000坪の庭、ヤギ、ハーブ畑、理想の環境。
そして2023年春、娘が誕生。
これまでの
「仕事のために移動し続ける人生」が、
ようやく“ホーム”を得た瞬間だった。
だが、2023年夏。
コロナ五類移行による反動で売上が急減。
家賃や人件費などの固定費は旧店舗の3倍。
売上とコストのバランスが一気に崩れ、
資金繰りに深刻な危機感が広がった。
このままでは、これまで積み上げてきた
仲間との努力や信頼が、
“何もなかったことになるかもしれない”
という現実が、すぐそこまで迫っていた。
「アフターコロナで沈むなんて、マジでだっせえ」
彼は腹を括った。
今やるべきは、“会社全体での進化”。
単に売上を戻すのではなく、
根本からビジネスモデルを再構築すること。
そして、そこからたった1年。
過去最高売り上げを樹立した。
それが、PSK「第二創業」の始まりだ。

【第七章】
第二創業期、仲間を求めています
PSKはもともと直販ブランドだったが、
SNSやデジタルの力を活用できていなかった。
いわゆる
「D2C(Direct to Consumer)」の本質──
“共感を軸に、文化を広げ、売上を伸ばす”
ことが未実現だった。
だから、今ようやく本格的に取り組む。
この“D2Cの進化”は、
創業当初から抱えていた
「未完成の約束」でもある。
そして今、変わるためには
全員が変わらなければならない。
だから誰よりも、彼自身が変わった。
シェフとして手を動かしてきた人間が、
今はテック担当となり、
デジタルの先頭に立っている。
料理をし、経営をし、未来を語り、コードを書く。
役割は変わっても、
「食卓を豊かにする」という軸は変わらない。

そして、あなたへ
今、Pasta Sauce Kitchenは
「第二創業期」に立っています。
クラフトパスタソースという独自ジャンル。
丁寧な商品、共感あるストーリー、
応援してくれるたくさんのお客様、
そして圧倒的な顧客満足度。
けれど、この先の未来をつくるには、
今までにない力が必要です。
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「理念に共感した。ここで一緒にやりたい」
「このチームに入ることが、未来への投資になる」
そんなふうに思ってくれる人を、
私たちは本気で待っています。
スキルのある人ほど、
きっと今は別の道があるでしょう。
でも、
“変化のタイミングに乗れる面白さ”は、
今だけです。
ここには、成長余白があります。
文化的な志も、経済的な成功も、
どちらかではなく、
どちらも本気で狙います。
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きっとこの会社は、力強く成長していきます。
それは単なるスケールの話ではなく、
人や文化とのつながりが育てていく、
深みのある成長です。
だから、今、このタイミングで、
仲間になってほしい。
これは、きっとあなたの人生にとっても、
意味ある選択になるはずです。
