Reikoの勝手に主観でスタッフ紹介!
KAN(現在産休中)
部門:キッチンAスタッフ
生年月日:1993.01.22
入社日:2020.6.27
イタリアンパセリを計量中のKAN
KANは、新型コロナが始まった年の超過渡期の中で入社。当時、コロナの影響で飲食店で働いている人たちが、PSKにもたくさんの人が面接に来てくれていたころ。ホテルのシェフをしていた人からも応募がありました。
でも、飲食店の仕事とPSKの仕事は、食べ物を作っているという共通点だけで、仕事内容は全く違います。私たちはそのことを最初からわかっていたので、1週間のお試し期間を設けていました。
古民家時代のお店
PSKのお仕事は、創業からコツコツとシェフが築き上げてきたもので、なかなかやってみないことには理解していただけません。だから、元シェフからも「私の考えが甘かったです。全く思っていた仕事とは違いました。」と言われたことも。
地元三重県の大手菓子メーカー「井村屋」さんと、パティスリーでは仕事内容が違うことはわかりやすいですが、PSKが専門料理をどこまでも専門的にやっていることがそれを分かりにくくしているのかもしれません。
そんな中、元保育士KANとの面接。また食品とも製造業とも違う職種すぎて、「んーどうかな?」と思ったのが私の最初の印象。(笑)
入社3ヶ月後のKAN
そして彼女は、面接で前代未聞の事件を引き起こします。
”面接で大号泣”
当時彼女は結婚をしたばかりで、前職を寿退職。海外ウェディングを夢見て着々と準備をしていました。しかし突然のコロナ禍で、それが叶わなくなってしまいました。
面接の時に、雑談でそんな話になって、そのことが辛くて?突然泣き出した!!
アイスを頬張るKAN
今では、KANを紹介する時には欠かせない鉄板ネタになっていますが、なぜそんなKANが入社するに至ったかというと
「忙しい人が、家族と一緒にゆっくりと食卓を楽しむために、簡単に美味しく作れるパスタソースを作りたい」ということをスラスラと話し出し、「私もそんなお仕事がしたいです!」と熱く語り出しました。
新入社員や正社員募集ではなく、パートスタッフの募集で企業理念を”熱く”語るのはなかなかできないことです。
ろうそくを眺めるKAN
あとから聞いた話、ハローワークの人から「ここはパート募集でも結構落とされることがありますが、大丈夫ですか?」と聞かれたらしい。なんと!PSKってそんな評判なんですね!!(勘違いされることが多い我々のお仕事。お互いのためだと思って、判断をしています。)
でも、どうしてもPSKで働きたかったから、「それでもいいです」と言って応募しました。とのこと。
そうは言っても、彼女が働き出した6月はすでに蒸し暑く、当時古民家だったPSKはなかなか空調も効かず、体力仕事。「大丈夫かなー?」とみんなが心配するヴィジュアルとキャラクターですが、実はめっちゃど根性の持ち主でした。
タコのマリネ担当のKAN。盛り付け中。
「美味しいお料理もたくさん食べさせてもらえて、それなのに全然太らないし、ちょうど料理教室通おうと思っていたんですけど、それまで叶っちゃって、一石三鳥です!」と、汗だくで語る彼女。(笑)
PSKでは、手詰めでソースを詰める時、袋の口が汚れないように袋を2回折り曲げるという仕事があります。得手不得手はもちろん、習熟もあるのでなかなかみんなすぐにはできません。KANもその一人でしたが、突然なぜかできるようになったと思ったら、「家のお菓子の袋で練習しましたー!」と明るく語る。
入社2ヶ月後のKAN
電話を取った際、「お客さんの言われることに自分で答えたい!」という気持ちから、PSKの自分マニュアルを作成して携帯。「え、そんなん自分で作ったん!?」とみんなが驚く手書きマニュアルは、私が電子化して公式マニュアルにさせていただきました。
働き方改革が叫ばれる中、時代に逆行したエピソードですが、ゆとり?さとり?世代なんて、呼ばせない!最初の可愛らしくてハワイに行けずに泣いていた女の子からは想像がつかない豹変ぶり。
今や、色々なパスタソースの最後の仕上げを担当するまでに。KANに仕事を頼むと、引き継ぎまで確実に行ってくれると定評のあるサポートAスタッフになりました。
プッタネスカの最後の仕上げをするKAN
「PSKが好きだから頑張れます!」と、産休に入る直前までそう言っていた彼女。7月から産休に入るように見せかけて、、リモートワークで調達業務の方を担当してくれています。
キッチン最後の日のKAN
それもあと数ヶ月ですが、片岡信人の誕生日が出産予定日というKANの娘「信子」。KANに似た可愛らしくて根性のある女の子を産んでねー。また一緒に働こうね!
Reiko
※パスタソースキッチンでは、サポートスタッフを募集しています。(7月18日現在)